言葉以上に伝わるもの
こんにちは
こころ愛結(めい)です
年末年始を主人の実家の大分で過ごして
東京へ戻ってきました
溜まった洗濯をしたり、
お土産や年賀状を整理したりしながら
自分のペースで過ごせる心地良さに
ホッと一息つきながら、
このブログを書いています(^^♪
昨年末から、お義父さんが肺炎にかかり
入院してしまったようで、
年末年始は病院にお見舞いへ行く日々となりました
とはいえ、
長居してもお義父さんは寝ているだけなので
ちょっと顔を見せに行く程度だったのですが…
お義父さんは、わたしにとっては
正直、今でも良くわからない人です…(^^;)
お義母さんには命令口調だし、多くを語らないし
主人との会話もあまり聞いたことがありません
主人が建築賞を受賞した時にも
一言も褒めることもなく、表情一つ変えませんでした
そのことを、後で主人に聞いてみたけど
「いや、あれで喜んでくれてるんだ」と言うから
二人だけで何か通じているものがあるんだなと
勝手に理解していました
お義父さんは、昔ながらの大工の棟梁さん
仕事には厳しく、とにかく綺麗好きだったとか
人間関係も好き嫌いがはっきりしていて
合わない人とは口もきかなかったとか(笑)
酒乱気味で、晩御飯のおかずが気に食わないと
ちゃぶ台をひっくり返すなんてこともあったそうです
飲み屋で知り合った人を大勢連れて
家に帰ってくることもしばしばだったそうで
夜遅くに起こされて、
お義母さんはおつまみをせっせと作っていたそうです(^^;)
そんな話をあっけらかんと話すお義母さんの明るさも
すごいな~と尊敬なんですけどね
お義父さんもお酒を飲むことでしか
緩むことができなかったんだな~と思いますね
それこそ、感情の抑圧です
弱音を吐くこともなかったようです
男性には、多いですよね
どうか、こういう男性が少しずつでも癒されて
苦しみから解き放たれることに目覚めることを
祈るばかりです
お義父さんは脳梗塞を二度ほど患い、
10年ほど、車いす生活を余儀なくされていました
そして、昨年にはとうとう声を出すことも
できなくなっておりました
今は、食べることもできないから
毎日栄養を点滴してもらう日々です
わたし達の呼びかけにも、反応するけれど
言葉を失ってしまったから、
もうお義父さんの想いを聞くことはできません
それでも、主人が東京に戻ることを伝えると
虚ろだった目を見開いて、唯一動く左手を
主人の方に懸命に差し出したのです
その一瞬の反応に、
お義父さんの熱い想いを感じて
わたしはつい
泣き出してしまいそうになりました
涙をグッと堪えて
わたしもお義父さんと初めてしっかり見つめ合い
細くなった左手をさすらせてもらいました
その手はちょっと冷たかったけど
優しくてね…( ;∀;)
お義父さんはわたしの目をまっすぐ見て
穏かにうなずいていました
わたしの勝手な印象だけど
お義父さんは自分の人生について
納得なさったんだなと感じたのです
周りの親戚の方達は、
「お義父さん可哀想に…」って言うんだけど
わたしはちょっと違うような気がして
なりませんでした
お義父さんは、病気になったことで
ようやく穏やかを取り戻せたのかも知れません
きっと、
死期も悟っていらっしゃると思うんですね…
悲観的にじゃなく、穏やかに迎える感じで
だから、延命治療もしないでほしいと
意志を伝えてきたそうです
お義父さんの優しい手の感覚は
一生忘れないだろうな~と思います
わたしが
お義父さんの手の感覚を忘れない限り
お義父さんはわたしの中で生き続ける
言葉でお義父さんと会話することは
ほとんどなかったけど
言葉以上の繋がりを感じられた時間でした
わたしも長く、人の言葉を通して
人との繋がりを持とうと必死でした
でも、言葉以上に
繋がりを感じれらる感覚がわかると
言葉なんていりません
人には言葉にできない
もっともっと深い想いがありますもんね
言葉にする方がもったいないかも知れません
言葉はいくらでもウソを言えちゃうけど
感覚はウソをつきません
お義父さんの深い想いに
少し触れられた気がした温かな時間でした
まあ、これもわたしの勝手は感覚ですけどね(^^♪
こころ愛結 (o^―^o)ニコ
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笑顔プロデューサー
東京都在住。37歳で結婚後、子宮頸がんとなる。その後、夫婦関係のすれ違いから離婚を考えるも、floweringセラピーで自分の心の痛みが癒やされることで、再び主人とラブラブに。 幸せなカップルが増えて、笑顔が溢れることを願って活動中。趣味は主人とキャンプに行くこと。